脳の階層構造的発生成長成熟

脳と心(情報)の並行する発達順序

第三章:情報(知)の発達と階層性 10)知性、言語、思考、意識 10-1)右脳と左脳

10)知性、言語、思考、意識

10-1)右脳と左脳
脳の情報処理の仕方は、右脳と左脳とでは大きな違いが生まれる。左半球(左脳)は、分析的、系統(継時)的、時間的、直列的、デジタル的である。
それに対して、右半球(右脳)は、包括的、全体的、空間的、並列的、アナログ的である。
ところで、右脳と左脳との情報処理の分業化の起源は、生物進化の最初期にまでさかのぼれるという説もある。その起源とは、餌=快と敵=不快で、餌を見分ける機能=左脳と、敵の存在を周囲(空間)に気を配る機能=右脳とに、機能を分化させたのが始まりであると。
右脳は、目新しい状況を扱い、未来を見る。左脳は、決まり切った仕事や慣れた手順を扱い、過去を見る。
脳の左右に大きな機能差があれば、同時に大きく異なった複数の行動が可能である。左脳が、見知った餌探しに特化して、右脳が、何処にいるかわからない敵の存在に目をこらすならば、餌の獲得と、敵への警戒を同時にこなせる。
例えば、右脳は、外形輪郭、体全体の触覚、空間的把握、顔識別など、全体把握する機能を持つ。

10-2-1)心像(イメージ)とは
感情は、感覚情報を元に判断を下した結果であったが、知性(思考)も、結局は最初の感覚情報に帰り着く。というのは、心像(イメージ)とは、視覚心像、聴覚心像、嗅覚心像など、個々のすべての感覚に対応した心像がある。心像とは、過去の実際の「経験や記憶」などから、具体的に「心の中に」「思い浮かべたもの」のことである。
注)心像とは、目の前にない物を、心の中で記憶から取り出して、思い描いたものを指し示す。
10-2-2)感覚情報(感覚心像)と観念心像
各種感覚心像は、述べたように感覚情報を元に形成された。この各種感覚心像を統合した上で、そこから感覚的な装い(要素)を取り去った、より抽象的、抽象性が高い心像を観念心像という。
比喩的に言えば、文字では、象形文字はまだまだ具体性が高いが、そこから作り出された漢字はかなり具体性が低くなる。更に、その漢字から作り出された「かな」は逆に抽象性が高い。そのような過程(具体性を削り抽象性を高める)を経た心像が、観念心像である。つまり、脳内に観念心像が形成されるまでには、多くの経験を経て、多様な異種感覚知覚情報が統合される必要がある。

第三章:情報(知)の発達と階層性 9)情動、感情、情緒 感情の成長 

感情の成長
9-6)誕生時には、身体感覚的な、満足(快)、苦痛(不快)だけであり、反応も、様々な感覚情報への刹那的な個別的機械的反射のみであった。つまり、反応は、身体内外から来る快不快の感覚への都度都度の反応に過ぎなかった。
だが、自我という(心の中を取りまとめる)核(扁桃体)ができたことで、第一反抗期(自分でする期)が始まる。自我を判断拠点として、対象物や親や周りの人や物との関わりから生まれる反応(あるいは模倣)としての感情(社会性を含んだ情動)へと移行する。感情は、心の視野の広がりとともに、また認知的な脳部位の発達とともに、更には社会的人間関係の広がりとともに、それらが手を携えてどんどんと分化し豊かになる。
膨らんだ自我が徐々に弱まって来た時点で、感情は、更に更に豊かな情緒が主役へと取って代わる。

第三章:情報(知)の発達と階層性 9)情動、感情、情緒 9-4)情緒とは

9-4)情緒とは
情緒を、私は上で定義したが、改めて述べ直すと、もっぱら積み重ねてきた知性や経験に強く裏打ちされた気持ち(感情)であると。例えば、感動、尊敬、義憤、畏敬、畏怖などなど。狭義の感情も、部分的には、動物、特に社会生活を営む猿や類人猿とも共通する。だけども、情緒という段階に入ると、とても人間的で、というよりも、人間でしか感じ得ない、様々な社会経験を通過して来た上での感情である。
例えば、雄大な風景に接したときに沸き上がる自然な驚き(畏怖)は、豊かな経験を必要とする。幼い子供には決して見えない光景である。尊敬も、自分で様々な辛苦をなめる経験を積んで初めて持ち得る気持ちである。勿論、子供でも尊敬心は持ち得るが、それは多分に意味を知っているレベルだろうと感じる。相手が持つ高い人格に心打たれて自然に沸き上がる気持ちではないだろう。
また、情緒は、簡単な言葉を発するだけとか、表情を浮かべるだけとかに終わりがちである。ただ単に心が感動で震える経験であり、ほぼ心の中だけで完結する感情である。

感情表出、特に表情について
9-5-1)感情の発信
脳は、情報の受信と発信を受け持つ。感情を表出する方法として、表情、声、身振り、態度などによる発信もある。
例えば、人間では、ヘビなどの視覚情報(感覚情報)は、扁桃体に入り、そこで価値評価(怖い、危ない)としての感情表出(叫び声)と、不快情動(飛び退く)を表出する。情動表出は、視床下部(身体内へ)と脳幹(身体外へ)が担っている。それを追っかけるように側頭葉(記憶情報との照合)を介して意味認知(ヘビだ!)が行われる。
9-5-2)表情の読み取り
右脳(右脳側頭葉)は、表情や身振りの意味を読み取る。特に、右脳の前頭葉は、表情や声の抑揚から相手の感情を読み取る。
ところで、右脳は、アナログ(切れ目が不明な連続した量)の受発信を受け持つ。それに対して、左脳はデジタル(連続的な量を、段階的に区切って表した数)を担当する。
注)音楽は本来アナログ(波)であるが、デジタル変換すると、ぶつ切りの音の飛び石状(数、点)になる。だから、テレビやラジオ放送は、アナログをデジタル変換して、それを再度アナログに近づけるというややこしい作業が入る。脳も、実は同じことをしている。
9-5-3)表情の万国共通性
表情は、特に基本的な表情は、人類にとって遺伝的で生得的(生まれつき)なので、つまり、万国共通だから、外国人の表情も理解できる。文化的背景に関係なく、表情と感情との関係は普遍性を持つ。
例えば、生まれつき視覚と聴覚に障害を持つ人が表出する基本的な表情は、健常者と共通である。つまり、知識として外から取り込んだ模倣ではない、ということである。それは、遺伝情報として、脳に根拠を持つという意味である。
別の例を挙げると、まだ母乳もミルクも与えられたことのない生後数時間の新生児にも、味覚や嗅覚に直接一対一で対応した表情がある。例えば、甘い味覚刺激を与えられると微笑み、苦い刺激や塩辛い刺激に対しては顔をゆがめ、酸味に対しては口をすぼめるような表情を見せる。これは模倣ではあり得ない。
また、私達は、高等な哺乳動物(犬、猫、猿など)の顔での感情表出を読み取ることができる。勿論、表情を読み取る脳部位が発達してから機能するのだが。
9-5-4)表情の読み取る脳部位
表情の読み取り(認知)に関わる脳部位は、
顔表情の情動を知的認識する(1)側頭葉、
顔表情の情動を判断する(2)扁桃体
表情の観察と模倣と推測と共感の(3)ミラーニューロン(前頭葉)、などである。それらが連携して、つまり、神経回路網を形成して成し遂げられる。

第三章:情報(知)の発達と階層性 9)情動、感情、情緒 感情

感情
9-3-1)無意識的感情と意識的感情
辞典では、生理学的には、感情には、身体感覚に関連した無意識な感情と、意識的な感情とに分類されていた。
(1)無意識感情は、扁桃体視床下部、脳幹に加えて、自律神経系、内分泌系、骨格筋などの末梢系が関与する。これは情動である。
(2)意識的感情は、帯状回前頭葉が関与している。私は、意識的感情を、知性の含み具合で、狭義の感情と情緒に二分した。その理由は、狭義の感情では、まだ行動化の可能性が色濃く残されているが、情緒では、感情に浸っているだけに終わるからである。
9-3-2)感情の社会化
情動(無意識感情)を再度述べると、大脳辺縁系扁桃体(感覚情報の受信と感情の発信)と視床下部(身体内反応指令の発信)と腹側線条体側坐核(外部へ向けての行動化)が主導権を握る感情である。
それに対して、動物的な本能行動(情動)を上位からモニターして、感覚情報、過去の記憶、周りの状況と、より広い視野から照合するのが、大脳新皮質(前頭葉前頭前野)主体の狭義の感情である。
狭義の感情は、情動(段階での判断)よりはるかに広く深い主観的経験である。というのは、社会生活、社会経験を積む中で、「人間関係」という広場で生まれ育っていく感情が主体だからだ。例えば、嫉妬などは、情動というよりも(自我が芽生えて以降の)感情である。嫉妬などは、社会生活を営む類人猿辺りでも見られる現象である。
9-3-3)感情とコンプレックス
情報は、階層が上がるほどに、絡まり合う要素が多くなる。その感情を深く思い致す(分析する)ことによって、自分の心の中(様々な経験がからみついたコンプレックス)を知ることができる。心理療法はそれを狙っている。心理療法は、心の腑分けである。情動の所で述べたように、無意識的に結合したものを意識的に切り離すことで、自分の心が見えて来る。心を降りて行くとは、情報の源流(純粋経験)を求めて遡って行くことである。
9-3-4)感情の知性化
社会性を高めるためには、自分を引き揚げるためには、情動の時のように感情をぶつける、強く表出するのではなく、知性(大脳新皮質)の方に委ねる、権限委譲することである。それに対して、情動は、勝つか負けるかの関係(生存競争、競争原理)に持ち込むことを意味する。
より良き社会生活を意識するならば、感情を知性的に処理するべきである。感情の知性化である。感情が沸き上がった理由を言葉で説明する。というよりも、狭義の感情自体が、既に知的側面を含んでいる。自分の感情を深く理解したら答が見えて来る。現代社会は、暴力(極端には否定的側面)を否定する文化を持つ。そこでは怒りの感情を抑制することは良いことである。現在では、上司による部下への怒りの感情は、パワハラとして、強く非難を受ける。
9-3-5)感情の知性化の方法
感情を知性化する方法としては、心理療法、瞑想、座禅、睡眠(特にレム睡眠、夢)などがある。これらに共通する事柄は、コンプレックス(感情のまとわり付いた知)からの知の解放である。脳的に言えば、大脳辺縁系(扁桃体)主体の知と行動から、大脳新皮質主導の知と行動への移行である。
注)「大脳新皮質主導の知」については、次の節「10)知性、思考、意識、言語」で、詳しく解説する。
9-3-6)感情の抑制のマイナス面
だが反面、例えば、怒りの感情を表出することで、交感神経が鎮まり、身体内に放出されたアドレナリンが、行動という形で消費されることによって、心は鎮まる。 
しかるに、感情表出をしないことで、ストレスが蓄積され、様々な病気を誘発させがちになる。あるいは、蓄積から溢れ出て爆発という形で切れるというような感情の爆発が引き起こされる。しかし、これは情動表出を無理矢理強制的に押さえ付けているからでもある。根本的解決は、ストレスの発出先である視床下部を刺激しない態度を身につけることである。それには、視床下部に指令を出す扁桃体を働かせないことである。
もしストレスが溜まるならば、相手にぶつけるのではなく、運動をする、カラオケで歌う、掃除をする、ハイキングに行く、などなど、他人に、溜まったストレスをぶつけない方法で、発散させるべきである。
9-3-7)情動と感情
あらためてまとめれば、感情(情動と感情と情緒の全てを含めて)とは、ものごとや対象に対して抱く様々な気持ちのことである。具体的には、喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖などなどがある。それらの感情を最終判断としてかなり突発的行動を起こすのが、情動である。その感情判断を最終判断とはしないで、自我(社会性)の知性を加味した上で最終判断を下すのが、狭義の感情である。感情の中味は、どのような知性をどれだけ含ませるかによって、感情の種類が決まって来る。基本感情の調合と更にそこへ知性という調味料の混ぜる量次第で、感情の中身が決まる。

第三章:情報(知)の発達と階層性 9)情動、感情、情緒 情動 9-2-1)情動とは

情動
9-2-1)情動とは
情動とは、怒り、恐れ、喜び、悲しみなどなど、比較的急速に引き起こされた一時的で急激な(1)感情と(2)身体的動き、である。つまり、情動とは、感情が直接原因で引き起こされた体(身体内外に向かった)の動き、である。ある感覚刺激に対する心理的評価(怒り、恐れ、喜び、悲しみなど)と、その評価に対応して生じる反射的行動という二つの複合体である。
注)脳の下位の階層程、行動と強く連携している。
情動行動は、扁桃体を中心として、行動面では、例えば、恐怖に関わる情動的感覚情報が入ってくると、扁桃体から、腹側線条体(大脳基底核)の側坐核(行動化基点)に情報が伝わり、そこから恐怖に対応した行動が引き起こされる。この情動の基本原理は、(個人間の)生存競争である。
9-2-2)情動行動の例示
例えば、「切れる」とは、情動であり、衝動的な攻撃行動である。切れさせないためには、怒りという「感情」と、暴力という反射的「行動」とを、切り離させることである。
切れかけたとき、つまり、感情が沸き上がった段階(感情判断)で、留めて、行動に出ないようにする。
その訓練をする。感情が沸き上がるのは自然で構わないけど、それを行動化するのは押し留める、押し留めさせる。このことによって、社会性が高まって行く。脳は使うことによって発達する、否、使うことのみによって発達する。
衝動的な行動を押し留めるのは前頭前野(特に眼窩部)である。勿論、最初は何回も他人に制止される行動(躾)が続くけれども、やがては言葉による制止でも効果が現れ、遂には、本人が、自ら(大脳新皮質前頭前野眼窩部)で自ら(扁桃体)を制止するように成長する。この繰り返しがどうしても必要である。これらが躾である。外からの制止を内面化(内在化)する、させるのが、躾である。
9-2-3)情動と関連する脳部位
これを脳的に見てみると、各種感覚系入力(情報)から大脳辺縁系扁桃体に受信した情動刺激情報は、過去の記憶情報を溜め込んだ扁桃体(判断、決断)からの発信によって、間脳視床下部(反射行動指示)が、主に身体内反応として、立ちすくみ、発汗、心拍数の増加などの恐怖反応(情動表現)を引き起こす。行動面は既に上で述べたので省略する。この段階の情動は、大脳辺縁系が主導権を握っている。
この大脳辺縁系を上から制御するのが大脳新皮質である。
なお、視床下部は、身体内部を戦闘モードに切り替えるが、腹側線条体側坐核が外へ向けた行動化へと差し向ける。
この時、実際に行動化しなかった場合には、ストレスとしてモヤモヤ(主に視床下部による身体内反応)が残る。
注)視床下部は、間脳(脳幹)に位置し、身体内の、内分泌や自律機能の調節を行う総合中枢である。 それ以外にも、体温調節やストレス反応、摂食行動や睡眠覚醒など多様な生理機能をも協調して管理する。
9-2-4)人と動物と情動においての共通性
情とは、青く澄んだ心を意味する。人間くさい知が加わる前の心の状態を示したのであろうか。感情とは周囲の状況(外からの感覚情報)に対する価値判断である。その第一段階での判断は、扁桃体(大脳辺縁系)が行う。だからこの段階での、人間と動物の情動行動には共通性が多々ある。大脳辺縁系起源の情動には、欲望、恐怖、怒り、落ち込み(落胆)、満足、愛などなどがある。もちろん否定的な情動ばかりではない。
注)扁桃体は、外界の状況が、その生物にとって、好ましいか好ましくないかという価値判断をして、それに応じた行動を表出するために、脳内の様々な部位に情報を送り出す中枢でもある。

第三章:情報(知)の発達と階層性 9)情動、感情、情緒 9-1-1)感情とは

9)情動、感情、情緒

9-1-1)感情とは
感覚情報と体内情報が、心の中で生のまま(加工を施されない段階で)感じ取られたものが感覚で、それを基に個人的主観的評価(判断)を加えたものが感情である。感情は、多種多様の感覚情報を一つにまとめる働きがある。

9-1-2)三段階の感情
私は、私流に感情一般を三段階に分けたい。
(1)情動
(2)感情
(3)情緒
あらゆるものが階層構造を成すが、感情も例外ではない。身体(感覚)と強く結び付いた主観的反射的評価が(1)「情動」であり、自我(社会性)と強く結び付いたものが(2)「感情」であり、知性(経験)と強く結び付いたものが(3)「情緒」である、と私は定義する。
人は、脳部位が成熟し、経験を積むにつれて、情動的感情表出が多かった人も、社会性感情が主要に成って行く。
注)社会性とは、集団の中で他人と協調的な行動を取れる能力である。

第三章:情報(知)の発達と階層性 8)感覚 ピアジェ認知発達論(3)

(4)右脳が様々な感覚情報を統合して一つのまとまったイメージ(犬、女性など)を形成し、左脳がそれを言語化(タグ付け)する。そして、右脳のイメージと左脳の言語が、脳梁を介して一つに結ばれる。
(5)その結果、次の段階である左脳主体での言語(デジタル)を用いての思考が開始される。それまでは、イメージ(アナログ)を右脳主体で活用していく。

第三章:情報(知)の発達と階層性 8)感覚 ピアジェ認知発達論(2)

(3)象徴機能(イメージ)を使って遊ぶことができるようになる。本物の自動車から積木を自動車と見立て、更には、頭の中での視覚的イメージに置き換えていく。このように実際のものが目の前になくても、感覚情報で構成されたイメージ(心像)を心の中に再現して、いつでもどこでも利用するようになる。その結果、外にある感覚(時間と空間に縛られた)世界を離れる、つまり、それ以前には縛られていた現実の時間と空間を超越する。例えば、去年の北海道旅行を今大阪で思い浮かべられるようになる。脳は時間と空間を再現する。
それの開始時期は次の機能が成長することにかかっている。一次感覚野は、全体まるごとを受け取って細分化した上で個別に分析する。次の二次感覚野は、それらの個別情報を受け取り詳細に分析する。この二次感覚野が髄鞘化されるのが生後3ヶ月を過ぎてからである。このようにして、外にある物が脳内に取り込まれて行く。

ピアジェ理論からみた思考の発達と心の教育

ピアジェ理論からみた思考の発達と心の教育

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第三章:情報(知)の発達と階層性 8)感覚 思考の始まり、感覚情報からイメージ、そして言語へ 8-9)感覚情報から言語使用までの流れ ピアジェ認知発達論(1)

思考の始まり、感覚情報からイメージ、そして言語へ
8-9)感覚情報から言語使用までの流れ
ピアジェ認知発達論を先に述べたが、再度提示する。
(1)誕生後、赤ん坊は反射行動(吸う、触れる、注視するなど)によって、身の周りの物を感覚的に知っていくこと(知覚)を繰り返す。感覚情報の取り込みである。
(2)次に、1歳半から2歳頃までには、徐々にではあるが、実物が目の前になくても、頭の中で筋道を立てて考え始める。お母さんが視界内にいなくても、心の中にお母さんの存在を確信している。
あるいは、実物そのものでなくても、積木を自動車と見立てて。

第三章:情報(知)の発達と階層性 8)感覚 8-8-3)意識は心を上下する

8-8-3)意識は心を上下する
例えば、催眠は、意識を潜在意識段階に誘導する。普段の目覚めた意識では、到達し得ない深みにまで降りることを可能にする。このように意識は、心の中を上下する。睡眠時や瞑想時や催眠時には、覚醒時よりも意識レベルは下がっている。だが、残念なことに、その時の記憶がなければ、潜っても、陸に上がってから、見て来たことを活用できない。海に潜っても、魚介類を持ち帰らなければ、収穫はない。坐禅や瞑想では、目覚めた意識状態で、心の深くまで潜る作業である。
浦島太郎は、亀(陸と海を行き来できるもの、即ち、意識と無意識を行き来する行為)に乗って深い深い潜在意識の海に潜ったが、そこは時間も空間もない世界であることを、玉手箱で示している。玉手箱を開けたために、時間と空間のある現実世界に戻ってしまった。脳では、時間を主に前頭前野(特に左脳側)が作り、空間認識機能は、視覚聴覚など複数の感覚情報から、右脳が作り出す。瞑想で、感覚情報の流入を止めると、時間も空間もない世界に入り込めるのだろうか。